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言葉は知っているほど便利 ~共感性羞恥の例~

ブログの更新間隔が開くと、書きたいことがあまりないことに気づきます。

少なくとも週に1度は曜日を決めて、「更新するぞ!」とやるべきでしょうか。

 

さて、「共感性羞恥」という言葉をご存知でしょうか。

少し前に話題になったので聞いたことあるという方は多いかもしれませんね。

はてなキーワードによれば

他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象 

共感性羞恥とは - はてなキーワード

 だそうです。

 

「共感性羞恥」という単語を知らないと、

上記で引用したことを頑張って説明しなければなりません。

しかし言葉さえ知っていればたったの「共感性羞恥」という5文字で済みます。

というのがこの記事の主旨になります。

 

では「共感性羞恥」の話に戻ります。

この言葉、経験がないと正しく理解するのが難しい言葉のひとつだと思います。

「傍ら痛い」とか「いたたまれない」などといった表現で十分ではないか?

「こっちまで恥ずかしい」と言えばいいのでは?

という意見もあるようですが、やはり違うんですよね。

 

 「共感性羞恥」の肝はなんといっても

「自分がそれらを受けているように」

という部分です。

前述の3つが表現として最適じゃないのは、他人事と割り切っていても使えるからです。

もちろん間違っているわけではありません。

しかし、より限定的な条件として、

「さも自分が同じ目にあっているような心境になる」

という場合であれば「共感性羞恥」の方が解釈の幅なく表現できています。

要はニュアンスの違いですね。

「話す」と「意思疎通」の違いみたいなものです。

「話す」という大きな括りの中に「意思疎通」という言葉が入るように、

「いたたまれない」の中でも特別な状況で「共感性羞恥」が使えます。

 

そんなわけで、言葉を知っていればそれだけ的確な表現ができて、

物事をより一層精細に伝えることができるというお話でした。

もっとも相手が意味を正しく理解してるのが前提なんですけどね。

 

以下余談。

私は先日、「共感性羞恥」という言葉が不要であるとする記事を見つけたのですが、

どうにもその内容に納得がいかなかったんですよ。

じゃあそれはなぜだろうかと何度か読み返してみると理由は単純で

筆者が意味を理解してなかったのです。

「実際わからない用語」とまで言ってました。

つまり

「よく分からないけど似たような意味であろう言葉があるからそっちでいいよね」

という内容だったんですね。

そりゃあ納得できるわけもありませんし、コメントも批判的なものが多数でした。

理解できないものを扱うときは、せめて自分が理解していないことを十分に考慮したうえで話を組み立てたいものです。

あと貶すような言葉は使わない方がいい。